点心教室の理念

世界平和の礎である文化の最も重要な食文化の担い手を育み送り出す目的が、点心マイスター協会の点心教室!

文化とは?

我々は「文化」という言葉を余り意識せずに使っていますが、「文化って何?文化の概念は?」と自身に問うてみると、的確・簡潔に答えることは実に難解で、結構な時間を掛けても私には納得できる答を導き出せなかった。
自分では分かっていると思い込んでいただけで、いざ解説するとなると全く理解してないと分かったのです。身近な言葉で安易に使っている言葉なのですが改まって考えたことは無く、考えようともしなかった私。おこがましくも30年以上も飲茶点心の生産者であり製造工場の経営者であり、今では食文化に関わるプロ相手の教室を開設しているのに、余りにも恥ずかしい限りではないかと反省させられ、先ずは私自身が理解し受講者の皆に答えられるようにならなければ、教室を開く資格など無いと反省させさられ、遅ればせながら明確に理解すべく資料はいろいろと読み漁ったものの、何しろ概念となると難しいのです。そこで思いついたのは、受講者皆と一緒に考へればよいのだと気付いたのです。受講者の方々に宿題として「文化の概念を、50文字以内・小学生中学年に理解できる程度の言葉」という条件でお願いしたのです。少々姑息なやり方かと気が引けたのですが、お互い真摯に文化と向き合ってみたいと考えただけですが、皆さん結構真剣に考えて提出して下さいました。回答を拝見する私にとっては、様々な思考過程が表れており実に楽しく参考になり、流石プロを前提で来られる方の意識は違うと刺激的で、回答くださった方々にしても有意義であったようで「アカデミックな教室ですね!」といわれる程に良い試みでした。
但し、どうも私がこれぞと納得できる回答は無く、精神活動として生みだされる文化にしても生活様式としての文化にしても基本的人間の求める文化とは同様で、二足歩行の頭脳が発達した人間の生きて死ぬまでの求めるものを述べることこそが、文化の概念ではないかと私の浅知恵で考えに至ったのです。

点心マイスター協会で点心教室を開設し飲茶点心を広く伝へる目的

一、香港で花開いた体に優しい食文化の理念を理解してもらい、点心を手で作る技術と楽しさを伝へ、中国国内の限定された地域の食文化(サブカルチャー)との理解では余りに残念と考へ、より高度で普遍的な食文化として広く伝えたいとの想いがあるのです。飲茶点心は本来香港を中心とする朝食習慣で安価な軽食という位置付け故に、余分な手間を掛けず地産地消で大衆食でありながら実に奥深い食文化なのです。飲茶点心が紹介され始めたのは1975年頃ですが、その前や以後も日本に於いて朝食が外食などという習慣は皆無で、当初から広東料理の範疇という認識で支持されていったのです。点心は「少量で多種多様な美味しいものを食べたい。可愛い造形美に感動しお洒落な食」という要素が女性の心を掴んだのか、徐々に食材や価格も十分に料理として認知された今、点心を日本伝統の自然を大切にする食文化との融合を図り、飲茶点心では省いていた食材の下処理下味等の手間暇をも掛けて、昇華させて日本の生みだした新しい料理としての世界の点心にしたいとも夢があるのです。

二、教わる側も食文化に携わるという使命感を持ってもらい文化の概念を基礎に据えておれば、本来の目的を見失ってあらぬ方向に進んでしまうことは無い。点心のレシピや製造技術を身に付ける事だけでは本当の点心は作れないし、単に利益を生む為の技術や技能(skill)となってしまうことを恐れるからなのです。勿論それが悪いわけではありませんが、先ずは優先する崇高な想いを忘れずに点心と向き合っていただき、常に本物とは如何なるものなのか問いながら自分の点心を極めて、広く世界に通用する食文化の伝道者を多く輩出したいのです。
19世紀前半頃から香港で花開いた地域文化を、昇華させた点心文化の担い手を育てるには、文化とは/食文化とは何かを認識し、自然の恵みに対する感謝と自然を愛でて感動しながら自然を保護する心、人に対し思い遣る気持と愛情を大切にし、点心を通して楽しみながら自分を表現できる喜びとを共有しあえばよいのです。

食文化とは「如何に美味しく食べるかという人間の知恵」。

実に乱暴な表現ですが、食文化をその様に皆さんに伝えています。美味しさとは味覚だけでなく五感全てに関わる要素が含まれています。そこには伝統的な匠の技術と感性だけでなく、食事に於けるマナー・地域で育まれた習慣・宗教上の禁忌等が暗黙裡に守られ、多種多様の美意識・制約・価値観を互いに認めあい、平安で楽しい時と場所でこそ美味しさを味わえられるのです。
ここで注視し認識しておいてほしいのは、人も動物ではあるけど他の動物に美味しく食べようという欲求や知恵は無縁です。精神文化とは人間だけに与えられた知恵であり、互いに認め協力しながら楽しく有意義な幸せな日々を送る目的で、美=真理=善=愛を希求する結果で創作されるものが文化であり平和の礎なのです。極端に言えば人間が単なる動物として生き延びていくのに、文化など不要なのです。人間らしく生きていくには、文化とはなくてならない崇高なものだという認識を持って、食文化もとらえて学び伝えていただきたいのです。

文化とは:学問的な装いを凝らした用法が二つある。

第一は、学問、芸術、宗教、道徳のように、主として精神的活動から直接的に生み出されたものを文化という。そこには、少なくとも理念としては、人間の営みを充実向上させるうえで新しい価値を創造するという意味が含まれている。ひと口にいえば、知性や教養ともいえる。この用法は、多くの場合文明と対比して使われ、物的な所産を文明とよぶドイツの思想を受け継いでいる。この用法は、次に述べる第二の用法よりも普及しているし、第二の用法においても、第一の用法の意味が暗黙裏に下敷きとされている場合が多い。第一の用法は普通、個別文化の間に高低・優劣という評価を伴いがちであるが、第二の用法はこうした評価を下さない。すなわち、第二の用法は、あらゆる人間集団がそれぞれもっている生活様式を広く総称して文化とよぶ。
参考:またイギリスの人類学者タイラーによると、宗教はアニミズムに始まり、死霊や精霊の信仰へ進み、多神教、最後は一神教へ進化する。これは当時流行した進化論の文化への応用。
以上の解説が一番まとまっているかと思って、日本大百科全書から引っ張ってきました。

人間とは良くも悪しくも欲深い生き物で、人間だけが快適で・探求心を満たし・意義深く・楽しく平穏な毎日を送る術を文化と云い、真理・善・美・愛・道理・感動を飽くこと無く求めるが意思が文化を生み、平和の礎となるのだと考えられます。人間の二面性を前提にすれば理性と教養を基とする善の産物こそが文化。
実に残念なのだが、人間の「妬み・貪欲・自惚れ・怠惰・淫蕩・怒り」等の利己的意思は罪悪を、平和とは真逆の諍いから「殺戮・略奪・破壊・嫌悪・悲しみ・苦しみ・不安・憎しみ・落胆・無気力」を生み、負の連鎖までも巻き起こすのです。愚かしいことですがロシアのウクライナに対するような理不尽な、いつ終焉するかわからないような戦争が起こり、常に世界のどこかで無意味な殺戮は起こっている。身の回りにおいても平和は脅かされ、不幸の種をまく邪悪で無教養な輩もいるのです。降ってくる火の粉は払わざるを得ないが、それらを排除する術は文化向上の力を借りるしかないのでしょうが、本音をいえばその様な輩と関わりたくないものです。

文化の力こそが世界平和の礎であるとの思いを胸に、点心という食文化も伝承していきたいものです。


2022年11月3日(祝日)
点心マイスター協会
会長 小林 耕二